72年のXRはその後FISCOのレースの後、練習中にバルブを
落としエンジン大破 小林織路はビューエルRR-1000を購入
彼の乗っていたXR-1000を私が買い、エンジンだけを
乗せ変えたスペシャルXR-1000でMT-1に昇格
ツナギも新調した。
ウォーミングアップ場で
髪も短くレースモードになっている、真夏の練習を経験すると
長髪ではいられないし髪が絡んでブラシが通らない。
予選スタートノーマルエンジンながら軽量なシャーシーゆえに
結構タイムは良かった、転ぶ気も無いからイケイケでしたね。
ご機嫌で帰還、後ろはモトスポーツからエントリーの遠藤君
彼はあるレースで、トップを快走中、一人で転倒したことがあった
もったいないと思ったのは当時私だけではないだろう。
MT-1決勝グリッド予選7番手だったかな?この時は。
決勝のスタート直後、大きくはらんで外から・・・・って
上手くはいかないよ。イン側に池田 伸、後方に堀さんも見える。
堀さんとはいつか決着を付けようと言いながらどちらかが不調で
並んで走ったことが無い、決着はいまだについてない・・・・
一位 柏木、二位 横井共に転倒、一気に順位が上がり
俄然元気に。
おかげで、3個しかない表彰台に。ラッキーでした、ちなみに
転倒の2人は怪我も無く悔しがってました。
この時はオープンカーでパレードまであったんだよ。
ストリート用にしてセッティングをする事もしばしば
ヘッドライトが変だよね〜これ。ま、付いていりゃいってことか。
1972のくたびれ君から大躍進、ところが、メーカーから出ただけの
レーサーってちっとも早くないんだよ、72君のほうが良く走ったかも・・
しかし、ミッションやクラッチその他、何の問題も無いXR-750は
最高でした、後はライダーの技量でカバーなんて思ってた。
MT-2クラスを走ることに、ところがここが激戦区、私みたいな
シロウトライダーは少なく皆レベルが高いこと、60台の予選から
32台、そして、その32台は2秒差の中にひしめく・・・・
ゴールするまでトップとケツhじゃ一列になる位だった。予選31位
とある、レースにて久々の出場で風邪引きタイヤでの2週目の
第一ヘアピン・・・・走ったことのある人は解りますね、コレ。
この頃から白いマシーンはHOT-DOCKな〜んて勝手に決めていた。
小林織路のビューエルRR-1000、国産車のカウルをまとい
タンク、シートはアルミ叩き出しのワンオフ品、ビューエルに乗って
ライダーとして飛躍的に進化した。そして彼はとあるレースで
一時トップになるも惜しくも転倒、あれは、残念でしたね〜ほんと。
小林織路のいとこ、の大芝大介のマシーン、大芝は織路
に負けたくない一心で走ってた、入賞することもしばしば。
伝説のハーレー乗り JO-MIURAのマシーンJOとは常に一緒に
練習してた、今思うと、最高に楽しい時代だったかも・・・